カザグルマ 1

この世界には単一の公海・イニーツィオの中央に寄り添う、ふたつの小島。より面積が狭い方がアシオー、つまり梟の島である。 

アシオーもまた小規模の村を持ち、更にここが梟の村と呼ばれる所以、2、30羽程度の梟の小群が住み着き、これを神として崇め奉るのがこの村の習わしだ。

この長閑な村で、ボクは生まれた。

 

さて、梟島の隣はトランクリシア、即ち凪の島。名の通り静かな所である。 

この島も小さな村を内包しており、といってもアシオーより若干大きい村ではあるが、この村の南部にはこれまた小規模な森が聳え立つ。

ここへは凪の村人も含めた全ての人間が立ち入ることを禁じられている。

…この世界でたったひとり、例外を除いて。

 

 

*** 

 

 

「明日はどこに行くの?」

大人びた少女は小屋の窓から身を乗り出し、銀毛の青年に問いかける。

「明日はね、クラヴィスに渡るんだ。カニス皇帝直々の命でさ」

「そう…いつ帰ってくるの?」

結い上げて尚、腰まである長い黒髪が潮風に揺れる。伏し目がちに震える睫毛がどこか遠くにある気がして、何だか落ち着かない。

「明々後日には戻るよ、翡翠(イウ)

「…うん」

麻袋に荷物を詰めていた青年は彼女の悲しげな声に一度手を止め、立ち上がると窓際に近寄った。

しかし高い所にある彼女の顔までは手が届かず、代わりに両手を差し出す。

「ボクが戻ったら、また氷魚のスープ作ってよ」

青年は柔和に微笑み、少女の手を優しく包み込んだ。

少女も彼の言葉に頷き、寂しげに手を握り返す。

「うん、ちゃんと用意して待ってるからね」

彼女は青年の頭に手を載せて、ぽんぽんと撫でた。彼でなく、まるで自分を宥めるように。

 

 

明日は朝早くに出航の予定だから、見送りなんていいよ。そう言ったのに、毎朝寝坊助な彼女は今日だけ頑張って早く起きたらしい。

「シャオ!」

元気な声が港いっぱいに響く。来る筈はないと思っていただけに、驚いた。

目を丸くするボクに気を良くしたのか、彼女は息を切らしつつ駆け寄ると、いつもより雑にボクの頭を撫でた。 

「あ、シャオは小さいから“小”紫なのかな?可愛いね〜」

「…翡翠、恥ずかしいよ」

ボクは一応、曹長という立場上、この場を仕切る長だった。

(背の高い)後輩達にくすくすと笑われ、頬が上気していくのが自分でもわかった。

「ふふ、可愛いもんを可愛いって言って何が悪いのさ」

彼女は目線を会わせるように少し腰を折った。からかっているのだろう。

「…も、もう船出さなきゃ!じゃあ行ってくるよ!」

羞恥に顔を背けつつ、暖かな笑い声に包まれて、ボクは真っ赤になって船に乗り込んだのだった。

…もちろん、見送りに来てくれた彼女に、手を振り返すのは忘れなかった。

 

 

 

「トニトゥオノより参りました」

篤実そうな面差しの青年がひとり、カニス城の門を叩く。

眉根を寄せるその表情は明らかに重く、しかし明確な意志を感じさせるものであった。

「用件は」

皇帝は(カニス)を模した怪しげな仮面を外さぬまま端的に述べ、先を促す。

「私が、切り裂きジャックにございます」

跪く青年はマントを翻し、その下に隠してあった残忍な凶器をカニス帝国皇帝の目前に晒した。

 

 

 

…帰還した日の晩。

夜風に濡れた身体を氷魚のスープで暖めながらも、ボクは正面に座る彼女の落ち着かない様子につられて動揺していた。

理由はわかっている。

でも、今更聞き直すのも不謹慎だ。

「どうしたの、俯いて。寒かったでしょ、まだたくさんあるから遠慮しないで食べてね」

無理に張付けた笑顔に何も言えず、ボクはただ微苦笑を浮かべた。ボクらにはどうしようもない、この村に生まれたのが運の尽きだ。

 

この時、ボクはある機会を逃してしまった。

 

 

***

 

 

冷たいコンクリートの地面に膝をつき、格子の隙間から小さなトレーに載った食料を差し込む。

「どうだい、調子は」

銀毛の青年は小さな背中を一層丸め、牢獄に囚われた(背の高い)青年との接触を図る。

青年の両手両足首は鎖で拘束されており、今しがたのパンと水をどうにか胃に詰められる程度の動作しか許されていないようだ。 

「どうしたらそんなに伸びるのかなぁ…」 

黙って微笑む青年に羨ましげな視線を傾けつつ、曹長は腰に下げていたポシェットの中身をまさぐる。

取り出したものは手の平に収まる程の大きさで、白くて尖った、何かの爪のようだった。

 「…それは?」

囚われた青年はその手に載せられた欠片を指差し、興味本位で尋ねてみた。

「ん…君、喋れるのか!」

初めて聞く青年の声に曹長は相当驚いたようで、顔を上げた彼の目はまるで梟のように丸くなっていた。

「これはボクらの守護神、フクロウの爪でね…そうだな、お守りみたいなもんかな。ボクの村の村長がくれたんだ。生まれた時に」

曹長は懐かしそうに手の上の欠片を見つめる。彼はその爪を指先で挟むと、青年にも見えるように格子の間に手首を滑り込ませる。

「君は殺人鬼なんだってね?ボクにはとてもそうは見えないけど」 

曹長は青年の手の平に爪を握らせた。 

「貸してあげよう。君の最期の瞬間まで」

その言葉は間違いなくこの場に相応しくなく、しかしそれでも冷たい響きは持たずに、青年の心意に慈悲深く溶け込んでいった。

「そんな…大事なものなのでしょう…」

青年は遠慮を見せるが、全くこれを飲む気のない曹長である。

「いいんだ。ボクが君を気に入ったから。それでも鬼の良心が痛むなら、お節介と思ってくれ」

紫の袖口が遠ざかり、格子の向こうで癖のある柔らかい銀毛が少し揺れる。

青年が改めて爪を握り締めたその時、拘置所の重い扉が苦しげな音を立てて開いた。

 

 

「下がれ、小紫。殺人鬼との戯れに何を得ようというのか」

暗がりの向こうから射し込む光、5、6人の付き人と共に現れたのはカニス帝国皇帝。

跪き、薄目に見上げる仮面の姿は神々しくもあり、毒々しくもあり。

皇帝様(エンプ)、お言葉ですが、私は彼が切り裂き魔だとは思いません。名前が同じだけで…」

「それは聞き飽きたわ、もう良い、何度言わせる。下がれ」

「…はっ」

このお方に今更何を言っても無駄である。それはわかっているのだが。

「自ら名乗り出るとは確かに狂人らしからぬ判断であろうな、それは私とて理解しておる、小紫よ。しかし自らの道を省み悔いるも人世、背き貫くも人世…ふふ」

一々の言葉に裏がある気がして、何とも歯痒さを払拭できないのである。

「………、」

皇帝は俯く罪人の前に跪き、仮面の下で薄く笑う。

「我らは血を分けた者同士よ…、せめて仲睦まじく参ろう」

ちなみに、誰でも彼でも“我ら”というのは皇帝の思考の根本にある信仰によるものである。

「刑の執行まであと三日だ。それまで生きろ」

 格子越しに囁かれた忌み日の明示は、罪人の瞼を固く閉ざした。

 

 

***

 

 

…二人。

きっと三日後に、自分の身の回りからいなくなってしまう人。

どちらも、ボクの大切な人だ。友達なんだ。

カニス城に設けられた忌わしき自室に籠もり、暗闇の中、曹長はひとり膝を抱えて泣いた。