不易流行、山本継承歌  1

雪は既に止み、それでも吐く息は白に染まるような、初春のある朝。

 

「パパ、おそよぅ」

優しく揺すったくらいでは起きない。これは百も承知。

「パ〜パ〜〜!」

だが布団を大いに捲り、馬乗りに叫べば遂に父を打ち負かす。

「…寒……んん…まいこー…?」

「もうお昼だぉ!」

億劫げに呻き、うっすら目を開く。

「ママは?」

「お仕事行ったった」

「そうかい…」

父はゆっくりと上体を起こし、末っ子を抱き締めた。

「おはよう」

 

  

二階の自室からリビングへ降りると、何か香ばしい匂いが鼻を擽る。

父はおや、と息子の背中を見つめた。 

「僕の得意料理はチャーハンだからさ、別にこれしか作れない訳じゃないんだよ」

弁解も微笑ましく、父はエプロン姿の末っ子の頭を撫でてやると、席に着いた。

「お」

すると卓上の紙片が目に入る。

『食パン←6枚入のやつ ジャム←いちご』

それはいつものやや神経質な字で書かれており、簡素に書かれた単語の脇には自分の名前があった。ははぁ、これはお買い物依頼メモだな。

「まいこー」

「ん?」

少しあめ色に色付いたタマネギを炒めながら、顔だけこちらに向ける末っ子。

「チャーハン食べたら買い物行ってくるから」

「おけー」

何気ない会話に何故か笑みが零れ、なんともいえぬ居心地の悪さからひとり、父はかぶりを振ったのだった。

 

 

 

「じゃ、鍵かけておくんだよ」

「了解!いてら」

パパは僕の頬にキスすると、家を出た。

僕は言われたとおり鍵を閉める。

部屋着のスウェット一枚では寒すぎるから、静まり返る玄関をそそくさと後にする。

いたのはほんの少しの間だけなのに、もう指先が冷たい。

僕は夏生まれだし、やっぱり寒いのは苦手だな。

でも、この季節も嫌いなわけじゃない。 

 

 

今日はパパの誕生日なんだ。

 

 

 

 

 

 

  

自宅から15分くらい歩き、いつものスーパーに着いた。

今日もまぁまぁ混んでるな。

手に下げた桃色のかごに6枚入の食パンといちごジャムのびんを入れ、レジへと向かう。

金髪に碧眼、外国人の僕はここじゃ目立ちすぎて、最初は他人の目が気になったりもした。でも、10年以上も通えばさすがに皆(お店の人も常連さんも)慣れてくれたらしく、レジのおばちゃんにも最近名前を覚えてもらった。

 

「あらぁ〜、ジャック君元気?」

「ええ、おかげさまで」

「日本語もすっかり馴染んじゃったねぇ」

この人(パートの佐藤さん)、とってもいい人なんだけど、例え商品がたった2点であろうと世間話が終わるまでしばらく後ろに並んだ人達を待たせてしまうのが玉にキズ。でもいい人だから憎めない。

「澪ちゃん、最近見ないね。あの子も忙しいもんね」

「そうですね、また新しい仕事が来たみたいで。本人は楽しんでやってるようですよ」

「二人とも頑張り屋さんだもんねぇ、無理しちゃ駄目だよ!あんたも嫁さんも」

「はい、ありがとう佐藤さん」

かごを受け取りつつ笑顔で名前を呼んだら、佐藤さんはちょっと照れたみたいだった。

 

持参したエコバッグにジャムのびんとパンをしまって、右手首の腕時計を確認。

「まだ2時か」

うちの妻・長男の帰宅、夕食までには少し余裕がある。

他に買うものはないが、僕は時間つぶしに目的なく店内をぶらぶら見て回るのが好きだ。

よし。それがいい。 

 

ジャックはバッグの持ち手を握り締め目を輝かせ、迷うことなく、まっすぐお菓子コーナーに向かったのだった。

 

 

  

 

 

 

「兄さん、忘れてないよね」

『あーもぉぉーまいこーから直電話なんてまじ感動だわぁ俺もう泣きそうだわぁぁぁ』

「はいはい」

全く困った兄を持ったものだ。

誰しも好かれることは苦しゅうないだろうが、この場合は例外だ。本当に。

『…アレか、俺の愛が重すぎたか』

「うん、重すぎて潰れちゃう」

『なん…だと…!』

ああ。もう。兄さんのバカ。

時間がないってのに。

「兄さんいいかな。そんなことよりさ。卵、お昼に使っちゃったから、買ってきて」

『おけー!冷たいまいこーも嫌いじゃないぜっ(はぁと』

「はいはいありがとう」

『つれないなぁ…したらあと30分くらいで帰るわ』

 「おけーだぉ、卵よろしくね」

ガチャリ。

 

「…ふぅ」

 …パパ、喜んでくれるといいんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

「…ん」

16時33分。

気付けば、時計の針はあれから既に二周半していた。そろそろ帰ったほうがいいかな。

にしても、まだお菓子と乾麺とアイスクリームのコーナーしか見ていない。時が経つのは早いものだ。本当に。

そこでおもむろに携帯電話を取り出し、ジャックは家で待っているであろう末っ子のマイケルに電話をかけた。

  

「…もしもしパパ?」

『まいこー?パパ今から帰るね』

「あ、いや、えっと…もう少しゆっくりしてていいよ」

『えっ?』 

まずい、ばれちゃう…。

「えっとね…まだママも帰って来てないし、それに今日は…そうだ、珍しくお休みでしょ、まだゆっくりしてていいんじゃないかな!と僕は思うぉ!ね、パパ」

『…そうかい?それじゃあそうさせてもらおうかな』

  

 

…なるほど、そういえば今日は僕の誕生日だった。

きっと何か準備をしているのだろう。ジャックは息子との電話を切ったあと、感極まってアイスクリームのコーナーでそのまま泣いてしまった。

「あれあれ、まだいたの。どうしたのジャック君」

佐藤さんに発見されたが涙は収まらず、うまく喋ることもできなかった。

だから携帯のメモ機能で説明しようと試みたが、だんだん気恥ずかしくなってきたので、一礼して乾麺コーナーに逃げた。