百花斉放、村崎継承歌 2《結集》

軒吊家は代々、しのびとして菖蒲様一族にお仕えしてきた。

しかしまぁ、今代邸主の何と美しいこと…。

 

父は隠居の身、その上血を継ぐ男児は彼のみ。故に頂点へと成上がるのは必定の理である。

 しかし、当の本人は憂いに沈むばかりだった。

 

 「如何なさいました、菖蒲様」 

眉間に扇を立て、物思う主の顔は晴れず。 

「…忍は、どう思いますか」 

はてと首を傾げる黒装束のしのび、つと閃いてはこちらも浮かばれぬ表情。 

「やはり私が、末代となるのでしょうか」

「………、……」

返す言葉も咄嗟に出ず、黙り込むしのび

「アヤメに託すしかないのでしょうね」

「…どうか、気を落とされぬよう」

悲しげに嗤い俯くその姿さえ愛おしく、あまつさえ胸が痛む。

 

「私は、必要とされていないのでしょうね、この城に」

珍しく自嘲する主に、困惑を隠せぬ側仕。

しかしこのしのび、人一倍自嘲は嫌いである。特にこの方の場合はどうにも許せない。

「貴方がいなければ、艶藤も村崎も、ここにはいないでしょう」

「ですが、子種も授かれぬこの身…」

言い募るしのびに苦笑の邸主、側仕は更に捲し立て、

「この軒吊、貴方のお側に控えさせなければ、最早軒吊に非ずとでも言いましょうか」

 

熱に余る手を握り締め、強く胸におさめる。

面を下げ、黙然と跪けば、主ははっとしたように忍を見つめた。

 

 

…思わず零れる微笑。

あれ以来、何も変わっていないのだな。

  

 

「手前は、幾久しく貴方を慕い敬う所存故」

有ろう事か、顔を上げた黒き側仕は口元を覆う仮面に手を掛け、そっと外して見せた。

 

「…貴方に、手前の全てを捧げ、終身尽くす」

 

誰にも見せたことのない造作を露に、心より誓う。

 

…貴方は、僕が守るから。

 

 

 

双眼はただ暗闇のみを映し、開いているやら閉じているやら見当もつかぬ。

相当にきつく締上げられ、しかし食い込む縄の感触すら届かない程に、意識は朦朧と彷徨うばかり。

すっかり枯れ果てた喉、その口を塞ぐものはないが、やはり声は出ない。

 

つめたい…さむい…、いたい…、

ちちうえ…ははうえ……、たすけて…、

 

薄寒さが、一糸纏わぬ、尚も重怠い身体に堪える。

身を起こすこともできず、転がったまま流れる生温い泪に髪が濡れ、なんとも心地悪い。

 

まだ…、しぬのは…いやです…、

 

年端のいかぬ幼子は脳内に響く警鐘、甘受できぬままに、その啼腫らした目を閉じた。

 

 

 

「……覚えていますか」

黒装束の腕に確と抱かれ、その胸に顔を埋め。

忌まわしき記憶は震える邸主の脳裏に甦り、心を蝕む。

 「もう嫌です…全て忘れてしまいたいのです…」

「菖蒲様、何故思い出す必要がありましょうか」

 慰藉も無意味、わかってはいるが、主の不安は払拭してやりたい。

しかし自分にできることといえばこのように抱締めるくらいのもの、然りとて紛らせようという逃口を盾に手を出したところで嗜虐に成り得るのみであろう、それだけは避けなければならない。

「手前はずっと、お側におります故、どうか、」

14年の時を経てまでも、不易に焼き付いた記憶がもどかしい。

 

「忍…、」

その泣き声はか細く、だが確かに、侍従の名を呼ぶ。

「…ほら、菖蒲様、今宵も月が綺麗ですよ」

刺激せぬよう声色は温柔に、加えてその手を取り、秋分の朱月を仰げと促す。

主は顔を上げ、濡れた頬に乗る朱色の面持ちを幾許か移ろわせたようだった。

  

「…気分を変えて、月見饅頭でも如何です、菖蒲様」

 無言で頷く邸主の泪を拭ってやると、

「…緑茶が飲みたい」

 次いで不機嫌そうに俯き、珍しくふてぶてしい物言いにて命を下す。

「…わかっております」

つい漏らした微苦笑も悟られつつ、邸の主の部屋を出る直前、主に笑いかける侍従。

「すぐに、戻りますから」

 

 

 

 

 

…閉じられた引戸を見つめ、ひとり肩を抱く。

城の長とはいえ、年も浅い。

何が面白くて、こんな私に仕えているのか。 

あの日のように、いつかは裏切られる時がくるのだろうか。

 

まあそれも無理はない。

私は、独りで城を纏められるようなたちではないのだから。

ましてや、子も授かれぬとなると…。

 

邸主は自らの危惧にすら困惑した。

忍、せめて貴方だけは、貴方にだけは…、 

 

 

「…まだ泣いておられたのですか」

宥めるような微笑声に呼び戻され、気付けば視界は装束の黒に染まる。

 

少食に合わせ食べきれるだけの量の菓子。

火傷しないよう丁度に計られた37度の茶。

 

朱月の秋夜、今宵だけ、侍従の優しさは主の胸を刺すばかりだった。

 

 

 

「……忍、」

今朝はどうも、邸主の様子がおかしい。

先刻から抱きついて離れようとしないのである。

「…菖蒲様、これではいつまでも偵察に行けませぬ」

「今日くらい…他の者に任せてはどうです…」

ああ、声が震えている…。どうしても離れられないらしい。

「一体どうされたのです」

「………」

優しく背を叩いてみても、反応がない。

…仕方ない、後々父上に怒られるだろうが、本日の偵察は諦めることにしよう。

 

「饅頭は…」

「いりません」

「では緑茶は…」

「いりません」

「では…」

「いりません」

「………」

何ということだ。

甘いものを食べれば大概気が済む主、はなから否定され、こちらも打つ手がないというもの。はて、どうしたものか。

「…暫く、ここにいてください」

「しかし…」

「お願いです…」

「………」

邸主自らお願いされては、もう断れないではないか。

「…仕方ありませんね、昼までですよ」

邸主はか弱いその腕に懸命に力を込め、満悦の念を伝えた。

 

 

「…さて、菖蒲様。一体何があったのでしょう、黙っていてはわかりませぬ故」

戸惑い、俯く華菖蒲も見目麗しいこと。

「さあ、誰にも打ち明けたりはしませんから」

両手を取り、返答を待つ。

「………」

「ゆっくりで構いません」

「……話したくありません…出て行ってください」

まぁ、何ということ。行くなの次は出て行けとな。

「…わかりました」

いっそ潔く立ち上がり、振り返る事なく出て行こうと遣り戸に手を掛けた刹那。

 

「……菖蒲様?」

「…ごめんなさい…行かないでください」

後ろから抱きすくめられ、苦笑する。

はて…本当に困った人だ(しかしそこが初々しくて良い)

 

 

 

 

…どこだ。

どこに隠した。

 

怒りに我を忘れ彷徨う偵察のしのび、未だ若さは抜けないよう。

仕事柄目立たぬのが売り、しかし今回は例外

 

「…貴様か」

明らかに御偉方とお目見えする老将軍。一瞬、目元に走る青。

「…何の真似じゃ」

「菖蒲様を返せ」

声は低く吹き込まれ、動けぬよう、背後より身体ひとつ拘束する。

身の危険、悟る老将さえ突き立てる苦無に喉を鳴らす。

「どこに隠した」

「……」

成程、黙りを決め込むか、賢明ではないな。

「言え」

「…誰が言うものか、」

「では、死ね」

鮮血とは言い難い、尚言いたくもない、しかし苦無は鋭利に喉を裂く。

その首は胴から不自然に離れ、更にここは一しのびとして、畳一面黒ずんだ朱に染上げてやった。

 

 

まだ幼い身、城の外は何もかも知らない世界。きっとどこかで震えておられることだろう。

拉致などという突然の出来事、何も知らぬまま連れ去られ…。

さぞ、怖かっただろうに。

ああ、今、貴方を想うと、胸が痛い。

この軒吊、一刻も早く見つけ出してみせます。

それまでどうか、ご無事で…。

 

しのびは確信を得ぬままに、とにかく歩みを進めた。

 

 

「…あの時、」

侍従は目を見開いた。ここで、主が自ら口を開くとは。

「…忍が、」

詰まり、途切らせつつ、しかし尚も懸命に紡がれる言葉。

「…お前が、」

必死に思考を巡らせ、手前に伝えたい、その一字一句たりとも逃してはならぬ。

口を挟むことなく、一心に傾けようではないか。

「…来てくれなかったら、」

ああ、このお方は今、感謝の念を綴ろうとしている。

「礼などと幾分水臭いではありませぬか、菖蒲様、」

「…きっと今しか、言えないのです」

邸主は黒腕の中、初めてそのお顔を上げた。

 

真っ直ぐな眼光は淀むことなくしのびを貫き、邸主は侍従の仮面に手を掛ける…、

 

 

「菖蒲様!」

じんと重い瞼、なんとか持ち上げれば、傾き歪む侍従の顔。

「……ひどい…、こんな…」

しのびは主の動かぬ身体を労り、優しく抱き上げる。

「ああ…、痛かったでしょう…辛かったでしょう…」

久し振りの体温に、何故か覚える歯痒さ。

「………し…の……ぶ…?」

「…菖蒲様…!」

止め処なく溢れ出る泪、しかし復讐の色はない。

「手前が…!もう少し早く見つけていたら…!」

しのぶ…どうして泣いているのですか…、

最早言葉にならず、口も動かぬ。侍従はただ泣き噦る。

まあ、それでも良い…。突如訪れた安堵に、幼子は意識を手放した。

 

 

 

…冷たい。

優しく、重ねるだけの接吻、それは邸主自らの意志で。

しかし離され、後に残る名残惜しさ、抱き寄せたい衝動、せめて隠さねばならぬ。

「…菖蒲様、」

ただ胸に込み上げる苦しさは留まることなく。

 

「これを、契りの証に」

主は黒い手を取る。

「お前が、私より先に死なないことを」

…誓いなさい。

 

しのびの目は、再び見開かれる。

「…突然に何をおっしゃいます」

「最期まで、側にいてほしいのです」

またも貫かれ、侍従の瞳は揺らぐばかり。

「………」

「もう、これ以上の我が侭は言いませんから」

 

強く放たれる眼光に目が眩むよう。

…そんな約束を交わしてしまったら、もう、手の届かないように思えて。

何故か、泪が溢れた。

 

 

「……承知」

邸主は微笑んだ。

 

今、この瞬間を共に、生きる。

か弱い、守るべき貴方が、いなくなってしまう前に。

  

侍従のしのびも、つられて微笑んだ。